野球応援、水泳応援、ラグビー応援など数々の応援を通して生徒の心を一つにできるよう、縁の下の力持ちとして受け継がれる伝統、熱い想いの入った応援は、在校生だけでなく、多くの方々に力を与えてくれます。本サイトを通して、應援團の活動を理解して頂くだけでなく、生徒のひた向きな姿を見て、彼等のパワーを皆様に感じて頂ければ幸いです
2024年9月に熊谷高校体育館で行われました、第75代幹部による「勝利の伝統」演技をご紹介します
2024年3月に行われました、「日輪の下に」の演技をご紹介します
2023年9月に熊谷高校体育館で行われました、第74代幹部による「勝利の伝統」演技をご紹介します
2023年3月に浦和高校体育館で行われました第74代幹部による「日輪の下に」熊谷高校應援團の演技をご紹介します
2022年9月に熊谷高校体育館で行われた第73代幹部による「第41回勝利の伝統」熊谷高校應援團の演技をご紹介します。
2022年5月に春日部高校体育館で行われました、第73代幹部による「第47回六校応援団連盟演技発表会-日輪の下に」熊谷高校應援團の演技をご紹介します。(新型コロナウイルス感染防止のため一般公開は行わずに実施いたしました)
2021年9月に行われました、第72代幹部による演技発表会「勝利の伝統」をご紹介します。
(新型コロナウィルス感染防止のため一般公開は行わずに実施いたしました)
第75代体制をご紹介します
市野瀬聖
熊谷市立妻沼東中学校
矢田陽都
深谷市立花園中学校
尾畑賢梧
熊谷市立大原中学校
中島 光輝
行田市立太田中学校
鈴木 清次郎
熊谷市立大原中学校
渡口 翼
さいたま市立大谷場中学校
目黒 巧
深谷市立南中学校
熊谷高校は、明治29年に第二尋常中学校として創立され、以来100余年の長きにわたり、県北の雄として、その名を全県に轟かせて参りました。
野球部創立当時、応援活動は1,2年の野球部員によって行われていました。しかし、昭和17年10月10日、ここに伝統ある熊谷高校應援團が学校取締風紀係として発足し、県内でも1,2を争う熊中野球部への応援を主体に、活動を開始しました。戦後、昭和24年に新校歌が斯界の大御所・山田耕作氏の作曲で完成し、同年本県最初の甲子園出場となり、應援團の活動もより活発になりました。
さらに2年後の昭和26年に野球部が甲子園で決勝戦まで勝ち進み、それと共に熊谷高校應援團の名を全国に轟かせて参りました。その当時は第1~5応援歌、熊中第二校歌であった高山峭嶽、そして第1拍手から第7拍手があったといわれています。 当時は羽織袴に高下駄姿が主流で、今でもその伝統は一部残っています。
昭和57年に野球部が3度目の甲子園出場を果たし、それを機に第38代団長荒井雅之先輩の下、應援團の活動も再び活発になりました。
そして、「第1応援歌」「第2応援歌」「第5応援歌」(第3、第4応援歌は現在歌われていません) また第40代団長、関根弘和先輩により、「高山峭嶽」が新たなリーダーに変わり復元され、第41代団長、大東春洋先輩により「勝利の伝統」が、そして第46代幹部の方々により「王者熊高」「勝鬨挙げよ」「スマッシュ熊高」および「この旗の下に」が完成され、現在では8つの応援歌を有しています。また、先の大東先輩が、生成期の3,3,7拍子を主体とする拍手を独創的な技を組み入れ改良した豪快、流麗な「風林火山の拍手」、「精鋭の拍手」「鉄腕の拍手」「わっしょいの拍手」「水月一拍子」など、5つの拍手も有しています。
他にも、慶應義塾大学応援指導部よりマーチ「突撃のテーマ」の楽譜をいただき、「熊高マーチ」と合わせた現在の野球応援のスタイルを完成させました。このように我々熊谷高校應援團は、多彩な応援技術を持ち、「伝統」に座すことなく革新を続けることで、全国にその名を轟かせています。
応援をすることで相手を励まし、応援を通して己を知る。應援團の1年を通しての活動をご紹介します
入学式(新入生出迎え)
新入生校歌•応援歌指導
春期野球応援
ラグビー応援
吹奏楽部定期演奏会激励
熊谷ー長瀞間40Kmハイク
40Kmハイクでは、應援團幹部が伝統の袴に高下駄というスタイルで最後尾を練り歩きます。熊高生と肩を組みゴールする姿に熊高らしさが見られます。
水泳応援
熊谷高校應援團が水泳部の依頼 を受け始まった応援であり、今では六校応援団も母校の水泳部を応援にくる、大きな応援の一つとなっています。
夏の全国高校野球選手権埼玉大会開会式出席
夏期野球応援
應援團といえば、野球応援。熊谷高校は夏の甲子園に3回の出場経験と決勝戦進出したことがあります。現在でも一回戦から多くの熊高生が集まり応援をする様は、熊高の団結力を示しています。
夏合宿
うちわ祭り応援
熊高のみならず、熊谷を応援しよう!ということで毎年熊谷『うちわ祭り』において行われる応援です。
サッカー応援
水泳大会•公立校大会
文化祭宣言文作成
演技発表会『勝利の伝統』
現役幹部の最後の演技。笑いあり涙ありの應援團生活の集大成の場となります。
キャンパスファイアー司会•進行
幹部新旧交代式
ラグビー応援
駅伝応援
冬季体力強化特訓
バレー応援
ラグビー応援
六校応援団連盟演技発表会『日輪の下に』
埼玉県下の旧制学校であった、浦和•川越•春日部•不動岡•松山•熊谷の六校応援団
連盟による演技発表会。各校の新幹部が集い、切磋琢磨する場です。
卒業式
春合宿
現在の校歌は、昭和33年4月1日より熊谷中学校から熊谷高等学校へと変わったため、作詞を石坂養平氏、作曲を斯界の大御所・山田耕筰氏に依頼し完成したものです。
全国の校歌百選の中にも入る名歌で、現在でも多くの生徒に愛され、各行事の際には生徒たちが肩を組み歌っています。その様子は正に熊谷高校の校風、質実貢献•文武両道•自由と自治の精神を感じさせ、熊谷高校とその生徒と共に長い歴史を歩んできたことを物語っています。そのため、校歌を高らかに歌うとき、生徒は誇り高き熊高生であることをより一層自覚するのです。
熊谷高校應援團は、小団旗、旧大団旗、大団旗、「紫雲旗」そして新大団旗「二代目紫雲旗」を所有しています。スクールカラーの紫紺は、校歌に出てくるように武蔵野の雲が紫色であったことに由来する説と、熊谷次郎直実公の幟の色が紫紺であったことに由来する、という2つの説があります。
この紫紺に赤甍をイメージした校章を染めぬいたものが新大団旗「二代目紫雲旗」です。畳十八畳大、ポールの長さ二十尺、無風状態において約80Kgの重量がありながら、荘厳かつ華麗であり、熊谷高校及び應援團の象徴として、熊高生の集うところに燦然と翻り、常に熊高生を見守り続けています。
「第1応援歌」「第2応援歌」「第5応援歌」(第3、第4応援歌は現在歌われていません) また第40代団長、関根弘和先輩により、「高山峭嶽」が新たなリーダーに変わり復元され、第41代団長、大東春洋先輩により「勝利の伝統」が、そして第46代幹部の方々により「王者熊高」「勝鬨挙げよ」「スマッシュ熊高」および「この旗の下に」が完成され、現在では8つの応援歌を有しています。
埼玉六校応援団連盟は、浦和高校應援團、春日部高校應援指導部、川越高校應援團、不動岡高校応援部、松山高校應援團、そして我々熊谷高等学校應援團の六校の応援団からなる、埼玉県における應援團連盟です。